師太爺王樹金先生のエピソード
1949年来台後王樹金先生の評判を聞いて沢山の学生が先生のもとへ集まって来ていた。
同時に1950年代以降は王樹金先生に対して台湾や日本(初来日1959年)において沢山の武術家がどれほどの実力者なのかと挑戦して来ている。その一つをここに取り上げる。
1954年アメリカのボクシングチャンピオン,ジョー・ルイスが世界ツアー興行で台湾を訪問した時のことである。台湾に到着と同時にジョー・ルイスは中国武術家を招待し挑戦しようとした。噂では,ジョー・ルイスはパンチで牛を殺したということで多くの武術家は怖がって彼への挑戦を受けようとしなかった。台湾政府は誰も受けてたつものがいないため困り果てていた。
政府で働いている王樹金先生の学生が王樹金先生に台北への旅の途中で台中に訪ねてもらえるよう使いを送った。王樹金先生はためらいなしで,招待を受け入れた。そして,到着し戦いの場を軍基地のバスケットボールコートを選んだ。コートの周囲には沢山の観衆が集まった。二人の会話は通訳を通して行われ王樹金先生はジョーに言った。
「3回私のお腹をたたいてよい。私は一度だけあなたのお腹をたたく。」
ジョーのマネジャーは王樹金先生に尋ねた。「あなたは怖くないのか。彼が一撃で牛を殺すことができることを知っているだろう。それなのにあなたは彼に3回たたいてよいと言っている。」
王樹金先生はそれに対して答えた。「もし私が怖かったならばここにはいなかっただろう。」一方,ジョーの保険会社はここでの戦いに保険を掛けることを拒否した。というのも,中国武術は神秘に取り巻かれているし,武術家の本当の力を知ることができないような秘密の力が隠されているからである。この時,ジョー自身困った立場にあることに気づいた。主催者側は戦いをキャンセルしようとしたが,観衆は立ち去らなかった。
「何をあなたは恐れている。あなたは3回パンチが打て,彼はたった一度だけだ。」その時,ジョーが追いつめられたのを王樹金先生は悟った。そこで,彼を救う手立てにもう一つ提案した。「私を一度打ってよい。私はあなたを全く打たないから。」
ジョーとマネジャーは「本当のパンチを打ってよいのか」と尋ねると,王樹金先生は「本当のパンチを私に打たなければ私の能力が判定できないでしょう。」と答えた。さあ,道はありません。その上,牛を殺すことのできるパンチがどのような感じのものか好奇心をそそります。ジョーはグローブをつけ王樹金先生のお腹にパンチを打ち込みました。王樹金先生の顔は微動だにしなかった。驚いたジョーはマネジャーに「初めの契約に同意しなくて良かった。そして,このワンパンチができた。」と話した。すべての新聞がこの戦いを取り扱ったが,王樹金先生は礼儀正しく,慎み深くすべての事態を大げさに取り立てなかった。ジョーは王樹金先生に大変感銘し彼らは緊密な友人となった。
もう一つのエピソードを取り上げると,
台湾で洪老師という少林拳最強の使い手が挑戦してきた。彼は水牛を一撃で殺すことで有名だった。試合は必ず立会人を立たせて行われた。洪老師が王樹金先生のお腹を2回突くことを許可された。満身の力を込めてお腹を二度突いたが,平然と立ったままだった。洪老師はとたんに青ざめ,顔をひきつらせた。次は王樹金先生がお腹を突く番。一撃で洪老師は気絶してしまい病院へ運ばれることになった。このニュースは大変な衝撃とともに台湾全土の武術家たちに伝わり,王樹金先生の名は不動のものとなった。
上の写真 日本防衛庁 武道師範
下左の写真 アメリカCIA情報員 ロバート スミス
下右の写真 アメリカ ボクシングチャンピオン ジャック デンプシー
写真引用:中華武術國際誠明總会 台湾本部 「授藝六十年紀念特刊」
エピソード参考:中華武術國際誠明總会イスラエル支部
「会報 Cheng Ming Clarion」